| 愛知大会優勝:愛工大名電(3年連続9度目) | |||
|---|---|---|---|
| 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表 |
| 184校(前年比−4) | ダウンロード(64KB) | 中京大中京 | 愛工大名電 |
8月1日付紙面
名電・柴田章、病魔と向き合い胴上げ投手
優勝の瞬間雄たけびをあげる愛工大名電・柴田章(撮影・清水貴仁)
| 愛工大名電Vへの足跡 | ||
|---|---|---|
| 3回戦 | 4-0 | 岡崎城西 |
| 4回戦 | 8-1 | 至学館 |
| 5回戦 | 11-0 | 栄徳 |
| 準々決勝 | 10-4 | 愛知 |
| 準決勝 | 9-7 | 享栄 |
| 決勝 | 7-5 | 中京大中京 |
<愛知大会:愛工大名電7-5中京大中京> ◇7月31日◇岡崎市民
高校野球愛知県大会決勝は、愛工大名電が中京大中京を7-5で下し、3年連続9度目となる夏の甲子園出場を決めた。36年ぶり愛知大会3連覇の原動力は、背番号10の左腕柴田章吾(3年)。国の難病(特定疾患)に指定されているベーチェット病を患うが、好リリーフで、胴上げ投手になった。同じ病気を抱える全国約1万8000人に甲子園での雄姿で勇気を与え、愛するチームを頂点へと導く。
力の限りの雄たけびが勝利の証だった。柴田章は目を閉じ、最高の仲間がつくる歓喜の輪に身を委ねた。昨夏までの2連覇は難病の影響でベンチ外。この夏にすべてをかけていた。「死んじゃうんじゃないかと、不安になったこともある。でも最後なんで(体調を考慮した力の)セーブはなしです」。悲壮な決意で臨んだ自身初の愛知大会。中京大中京という難敵に勝ち、病魔にも打ち勝ち、その左腕で甲子園切符をつかんだ。
5-3と逆転に成功した5回裏に3番手で登板した。すぐに同点2ランを浴びたが、6回以降4イニングは内野安打1本に封じる快投。送りバントを2度、好フィールディングで阻止。9回には右前打で出塁し、決勝点となるホームを踏んだ。投げて守って打った。入学直後に倉野光生監督(48)がその潜在能力を「野球センスはイチローや工藤レベル。もう別格」と表現した通りの活躍。柴田章なしに、名電3連覇はなかった。
「なんでこの病気になったんだ…」。何度も自分の体をのろった。発病は中学3年の時。それまで病気らしい病気をしたこともなかっただけに、信じられなかった。信じたくなかったから、当初は処方された薬も飲まず病状が悪化したこともあった。医師からは強豪校に進んで野球をするのは無理だとも告げられた。全国レベルの強豪10校以上が入学を勧めてきたが、体調不良を理由にいつの間にか話もなくなった。現実を受け入れざるを得なかった。
だが、どうしても甲子園に行きたかった。「ちゃんと考えてくれたのは名電だけだった」。病気も含め親身になって受け止め、ともに甲子園を目指そうと言ってくれた倉野監督率いる名電にすべてを預けた。
入学以来、医師と相談し、食事制限に加え、体調を考慮し練習量も微調整しなければならない日々が続いた。「練習やったら強くなるのに、やっちゃいけない。うまくなるのには苦しいことをしなきゃいけないのに…」。ジレンマにも悩み抜いた苦しい日々だった。
さまざまな思いは、1つの目標を打ち立てて吹っ切った。全国に約1万8000人いるという同じ病気に苦しむ人に目を向けた時だった。「甲子園で投げて、全国でこの病気に苦しんでいる人を勇気付けたい」。追い込んで、やり遂げた18歳の表情は晴れやかだった。聖地での1球1球は、すべてがメッセージ付きだ。重い重い1球が名電に、いや全国に勇気と力を与えることになる。それができるのは、柴田章しかいない。【八反誠】
◆柴田章吾(しばた・しょうご)1989年(平元)4月13日、三重県いなべ市生まれ。三里小2年の時に野球を始める。硬式の鈴鹿リトルをへて四日市トップエースに移り、小6の時に投手として全国制覇。大安中から愛工大名電に進み2年春の県大会予選でベンチ入り。昨秋、今春と主戦として活躍。直球の最速は142キロで、投打とも非凡なセンスを持つ。175センチ、79キロ。左投げ左打ち。
◆ベーチェット病 口腔粘膜のアフタ性かいよう、外陰部かいよう、皮膚症状、眼症状の4つを主症状とする慢性再発性の炎症性疾患。原因は不明。1936年にトルコ人医師のベーチェット教授が初めて報告しこの名前がついた。日本人の患者数は現在約1万8000人といわれている。眼症状は失明に至ることもある。今年1月にはダンス&ボーカルユニットEXILEのパフォーマー、MATSU(32)も同病であることを公表している。



