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2006年甲子園特集

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大阪大会優勝 : 大阪桐蔭(2年連続4度目)
■参加校 : 188校(-3) 
※()内の数字は前年比
組み合わせ(PDF)
■春季大会優勝 : 履正社
■昨夏代表 : 大阪桐蔭
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8月1日付紙面

大阪桐蔭中田、怪物が泣いた

<大阪大会:大阪桐蔭4-3金光大阪>◇7月31日◇舞洲

涙を見せ、ほっぺをつねられる大阪桐蔭・中田(撮影・前岡正明)
涙を見せ、ほっぺをつねられる大阪桐蔭・中田(撮影・前岡正明)
大阪桐蔭Vへの足跡
1回戦 21-0 淀商
2回戦 13-0 柴島
3回戦 10-1 阿武野
4回戦 3-2 履正社
5回戦 8-1 箕面学園
準々決勝 9-1 関西創価
準決勝 3-1 東大阪大柏原
決勝 4-3 金光大阪

 怪物が泣いた。大阪大会の決勝で、大阪桐蔭の中田翔外野手(2年)が延長12回に左前打で出塁し、決勝のホームを踏んだ。本塁打の重圧から解放され、優勝決定の直前に、右翼の守備位置で涙を流した。2年連続の甲子園出場では、昨夏の4強超えを誓った。

 怪物は17歳の少年に戻っていた。スコアボードに「1」をともらせ、歓喜の瞬間はすぐそこにあった。それでも中田は待てない。12回裏、右翼の位置で何かがこみ上げてきた。「なぜだか分からない」。視線の先がかすむ。右手で何度もぬぐった。最後の打者が二塁へフライを打ち上げる。「一番早くに(エースの)松原さんのところに行きたかった」。今年の夏も甲子園に行ける。真っ赤な顔でマウンドに走った。

 描いた5本のアーチよりも、たった1本のヒットがうれしかった。先頭打者で迎えた12回表の攻撃。低めのスライダーに食らいつき、三遊間を破った。「とにかくチームのためになりたかった」。開幕から4戦連続5本塁打を放ち、ひと振りに注目が集まった。「ホームランは狙わず、右方向を意識する」。そんな言葉を繰り返したが、内心では重圧がのしかかっていた。相手投手の攻めも厳しくなる。打撃が次第に崩れた。5回戦から1発はおろかクリーンヒットも減った。

 「何が悪いんかな」。決戦前夜に寮の一室で中田は独り言をつぶやいた。同部屋の丸山貴司(2年)岡田雅利(2年)は、そんな姿をこれまで1度も見たことがなかった。「打とう、打とうと思わんでも、お前やったら打てるよ」。同級生の励ましの声。午後11時に布団に潜り込んだが、日付が変わっても中田は寝付けなかった。

 この日も初回から2打席連続で三振し、7回にはスリーバント失敗。「相手のミスでもいいから、塁に出たい」。12回の打席はとにかく無心でバットを振った。7打席ぶりの快音。そして犠打と遊ゴロで三塁に進むと、打席に7番丸山が入った。目が合うと、互いに右手で胸を2度たたいた。チームの中で広がった「気持ちはひとつ」のサイン。右前に打球は転がり、中田は決勝のホームを踏んだ。

 先発の松原靖幸(3年)が12回を1人で投げぬき、6回の2得点は下位打線でもぎ取った。投打で試合を決めてきた怪物スラッガーが全員野球の強さを知った。閉会式でも涙が止まらなかった。「甲子園でまた戦える。去年のベスト4は意地でも塗り替えたい」。苦悩のときを乗り越え、中田が1年ぶりに聖地に帰る。【田口真一郎】


 ◆大阪桐蔭 1983年(昭和58年)に「大産大付大東校舎」として創立された私立校。88年に独立し現校名となる。生徒数は1914人(うち女子656人)。野球部創部は88年で現部員は56人。甲子園は夏は4度目。春2度出場。主なOBはロッテ西岡、中日平田、巨人辻内など多数。所在地は大東市中垣内3の1の1。森山信一校長(65)。


 

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